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3分で分かる!破風墓・亀甲墓、沖縄のお墓の歴史と特徴

初めて見た人が家や古墳と見間違うほどに巨大な沖縄のお墓。県外とは違った独自のお墓の種類や特徴を紹介するとともに、どのような背景のもとに発達したのか、沖縄の葬送儀礼の歴史に触れていきます。

破風墓と亀甲墓

お墓が巨大化した理由は葬法の違いから

沖縄のお墓が大きくなった理由は葬法の違いによります。かつての沖縄では遺体を自然にまかせて白骨化させる「風葬」、さらには風葬を行った後に遺骨を酒や海水で定期的に洗い清める「洗骨」の風習がありました。それらの作業を行うために広い場所が必要となり、結果的にお墓のスペースが大きくなっていったといわれています。

また、沖縄県内ほぼ全域で火葬が一般化した第二次大戦後以降も父系親族のすべての人を埋葬する「門中墓」や、沖縄のお墓参り「清明祭」の伝統が受け継がれていることも巨大化した理由のひとつといえるでしょう。

琉球伝統墓

沖縄の伝統的なお墓で代表的なものはこの二つ。形状だけでなくそれぞれに違った意味合いが込められています。

1、破風墓(はふばか、はふうばか)

破風墓

屋根が破風形となっている琉球王国伝統のお墓。死後の世界でも家族と再会できることを祈って家型にした、また雨風をしのげるように屋根を付けたのがはじまりとされています。内部は8畳程度の空間が広がり、家を建てるときと同じように基礎から工事を行います。後に紹介する亀甲墓よりも歴史が古く、琉球王国時代は王族のみ作ることを許された墓でしたが、廃藩置県以後は庶民の間でも広く普及しました。1501年に造営された第二尚氏王統の墓「玉陵(たまうどぅん)」が最古の破風墓とされるほか、糸満市にある沖縄県内最大の門中墓「幸地腹門中墓」も有名です。

2、亀甲墓(きっこうばか、かめこうばか)

亀甲墓

亀の甲羅状の屋根に覆われたお墓。この形は女性の子宮を模しているともいわれており、人間は死んだら女性の子宮に戻る、いわゆる母体回帰の思想に基づくと考えられています。17世紀後半から徐々に広がり、明治中期~昭和初期にかけて数多く造営されました。最古のものは1687年に造られた那覇市首里石嶺町の「伊江御殿墓(いえうどぅんはか)」といわれています。

近年変わりつつある沖縄のお墓事情

琉球伝統墓である破風墓、亀甲墓のほかに、最近では深刻な墓地不足や維持管理の問題から、県外のお墓に似た「内地型(和型・洋型)」や折衷タイプの「軸石型」を選ぶ方も増えてきています。

内地型・軸石型

内地型のお墓は1㎡の敷地に高さ150㎝程度の墓石が一般的な大きさとされており、3坪(10㎡)の敷地が必要な従来のお墓と比べてコンパクトで価格も比較的安く、メンテナンスが楽に行えるところが魅力です。また、従来の琉球墓の様式と内地型のコンパクトさを併せ持った「軸石型」のお墓も人気。このタイプはお墓の上部には和形墓と同様に家名などを彫刻し、下部には骨壺を収納する室を設けてあります。下部の室は沖縄独特の観音開きの扉になっているので昔ながらの伝統的なお墓参りをすることができます。

時代に合わせて変化する沖縄のお墓

核家族化や生活様式の変化によって多様化しつつある沖縄のお墓。現在では巨大な破風墓や亀甲墓を新たに建立する人は少なくなってきましたが、小型化した亀甲墓や折衷タイプの軸石型など、昔ながらの伝統をうまく取り入れながら時代に合わせて変化してきました。今後はますます小型化・シンプル化が進んでいく傾向にありますが、どのようなお墓を建てるのか、どのように守り継ぐのかは、各家庭のご事情によって柔軟に考え、より良いご供養の形を模索していきたいですね。